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 肺癌になった人々と煙草にはやはり因果関係はあって、リスクそのものを解っていた可能性は高い。それでもやはり煙草人口は無くならない。この煙草依存人口を精査するときに、人間がいかなる手段を用いても絶対に摂るべく気分転換やギアチェンジを僕は思わずにはいられない。つまり煙草を吸う人々は類稀なる思考の方向性や着地点をすでに掴んだ人々で思想分野でも高い位置を占めると推定する。それに比べて煙草を吸わずに自分自身を知っている人々もまた、脅威の視点を掴んでいる。このことはまだ、知られてはいないものの相当数に及ぶ。煙草を吸う人々は煙草を取り出し火を付けることによって、瞑想は開始するが、何の小道具もなしで、いい構想を打ち出せる人々こそ僕にとっての脅威でもある。なぜ、こういう視点に立てたかというと僕は観てしまったのだ。カフェの喫煙ルームで、煙がもうもうと立ち込める中にいる人々の同じような視線と視点。彼らや彼女は、セルフで煙草の灰皿をさげ、カップ&ソーサーもさげてくる。煙草を吸えば吸う程、そのお盆は重たくなるはずなのに、彼ら彼女たちはそれを厭わない。むしろ喜んでさげてくる。この動作の基本志向に僕は及ぶ。いつもかつもセルフはしんどくて、ガソリンも係員がいるコーナーでしか給油しない僕が、セルフで灰皿をさげてくる人類に学ぶ。それは煙草を吸えば吸う程に、リスクが近まっている人々の憂鬱では決してない。