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 途徹もなく長い長い時間に思える平成を僕は一気に駆け抜け、あと32日で平成が満了すると思うと、この三十年の営みに感いを馳せる。僕の最も果敢な執筆人生をこの平成は網羅していてどの執筆場面でも僕が誰かに遠慮をして、申さなかったことはなかったを記憶する。しかし、したためるだけでは用を足さないことを十二分にも思い知る場面はあって、個人の書き手には最初からハンディがあるのでは?または組織にいる書き手の方が常に優位に位置していて太刀うちも不可能では?と憶測が先行した時期もあった。しかしこうスムーズに物事が推移して行けば、僕も楽観的にならざるをえない。個人が組織を超えるなど、考えられない快挙だろう。なぜ、そういった組織縮小論が起こるかと言えば、相撲取りが自分の回しを反対に付けてはいる訳はないが、それがバランスが取れていなかったりを相撲取り自身は中々気が付かない。観客が一番見ているし指摘が可能なのだ。その鏡たる大衆の視野が本命とは決して過言ではないだろう。金銭を授受し、物をしたためていればお金になることしか頭を通過しない。通貨は通過であり流通に通じる。しかし個人でお金に由縁のない書き手なら、無関係に膨大なストーリーを常に構築が可能である。嬉しい悲鳴と言ってもいいだろう。コラムニストとして素人ではあっても当然まな板に挙がって来る。それを阻止出来る人間などどこにも存在しないという理屈が成り立つ。