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 僕のカフェ修業が、どんどん現実味を帯びて、その職場の雰囲気に溶け込んでいく一週間後を想像するだけで、心が解き放たれ自由闊達になって来る。マニュアルがあるという締め付けではなく、逆にマニュアルに羽根があることを改めて感じ、新鮮な気持ちになって来る。組織が円滑に回って行く為にはシナリオがあって、そこで各人は対峙し刺激をし合う。そこでは企業の理念や発奮も同時包括されるのだろう。新しい試みで一発屋としての本領をものにするのか、それともその企業考案をあくまでも死守しながら帯同するのか。組織に生きることと相反するようで、個人の営みにも幅とフレーズが付いてきたな♪を僕は確認する。見極めは自分の余った時間でそれらをどう生かすのか?という処。各人の相違点や個人的派生力だろう。ルーティンは仕事に向き合うとき、そして趣味に向き合うとき、家族に向き合うとき、おのずと方向性を異とする。僕達の日常は社会性を常に求められ、そこで一回評価される。一日の態度と、明日に向かっている姿勢でも同位。しかしここで差異を付けていくのといかないのとでは、今後の進捗の度合からして違って来るだろう。僕の場合、いつかは自分の思想空間を人々と共有したいとの願望から来ている。誰もが来た道を振り返る時はあって、そういう余裕のある時間こそが思想の還元。先を急いでいるようで実は、僕達は過去域から中々脱出が叶わないまま、今日を流浪し、喘いでいるのかもしれない。端的に言うと人間の宿命かなあって....。僕はその宿命をあえてゲットした。労働の現場は矢も楯もたまらず僕を歓待している。