ルビー・ウーマンr377 余りにも早いセッティングに遭遇したことによって自分の不備が焙り出され、結果スナックの話は辞退するんですが、よく考えてみるとこれは日頃にあったのです。申し分ないとまでは言わないけど、旦那が看ていれば子供達はおりこうさんに出来る。その一点でずっと旦那に育児を観て貰ったこと。本格的な修羅場をみずから避けていたとも言える。でもやっぱり怖いっていうのも同時にあったんです。環境を変えて歓楽街の周辺に住めば交通費も要らないというのにどこか躊躇もあった。もちろん引っ越し費用もなかった。長崎は極端に言えばみんなが電気軌道の通る周辺を好む。それが絶対的価値。運賃は若干上がったけれど、このスタンスで最初アパート借りれば良かったな?って。しかしお金が無くて激甚貧乏。当時はまだ、今のように敷金ゼロ物件なんて存在しなくて前家賃、敷金三ヶ月、紹介手数料一ヶ月は通常だった。二万八千円の毎月の家賃を支払えば電気水道ガスという光熱費に固定電話代、それらは否応無しで生じて来る。7年間、最初から最後までキツかった。今の生活なんてぬるま湯以上の半身浴。仕事したくないって言うこと自体が甘えじゃないかなあって....。正社員の募集こそ長崎は少ないけれどアルバイトなら、複数受かることだって若者なら無きにしもあらずの様相。しかし私の場合ハンディがある。歯の治療待ちでマスクが欠かせない。かえってコンビニよりも厨房内が合っているかもしれません。