イエローダイヤ-マンyd750 僕たちは常に時間を区切る習性にある。その時間の価値に拘る決して冗談では済まない特別な志向を持っている。長い間僕はこの性向は自分だけが持つ特別なものだと息を荒げて来たのだが、いつしか一定の基準を見い出す。若者が年収に拘るように、時間給にも同様な強い拘りを持っていて、そこにうるさいことはシニアは知っておく必要がある。例えば三時間みっちり社外研修を受けたとする。享受全体となるその体験時間を3で割ると1時間あたりの時間密度が出る。その数値に満足出来ればその研修には深い価値を認めるし意義への到達を見る。又こういう展開もある。一時間三万円の講師だと分かってしまった時、若者の顔が怪訝になれば、その講師には金銭に値する処の実力はない。シビアで純粋な若者の判定やビジョンに、到底ついて行けないシニアも多い。結論を言えば時間泥棒には未来もなければ需要もない。そこがいたいけだがリアール現実になる。いたいけは今日からこう漢振ろう。痛行けだ。