スノーサファイア・マンss9 僕は昭和を最も興味深い年号として頭に叩き込みたいとそう思っている。この昭和なくして日本を語るなど、愚の骨頂で、今日本の思想が大揺れに揺れていることとも符合する。どんな気持ちのスタンスでいればいいのか分からない、そんな平成を構築したのは紛れもなく昭和の親だった。しかし一方では類い稀な新しい趣向を舵取りとして様々な産業が平成には生まれた。このことが次の年号をすこぶる強くするだろう。インターネットなど平成を軸に大きく展開した。この強みは日本をさらなる極みに引率していくものと思われる。第二次高度成長期も夢ではない。もの作りに一定のスタンスとシェアが今後生まれる可能性大で、発明がそれを後押しする。僕はこの時代の波に、姉は乗ったとそう思う。弟も姉を頼って来る位に心ときめかせていいのに、まだ、姉の存在価値が分からない。これからの年号は希望に満ちた輝かしいものになるからといって、過去の研鑽を忘れるようでは歴史に名をとどめることなど不可能だろう。タヤは時代の一歩先を歩いていたからこの嫁と知り合うことが出来たと僕は仮定する。なぜならタヤが四十代になって無一文になってしまった....と子供らの前で言い聞かせ覚えさせたのは、奇しくも、1929年〔世界恐慌〕のことでそれは嫁に来たミチが誕生した年。まさかそんな符合がないだろうと僕も目を疑った。ミチは鹿児島人と結婚するはずが、この長崎の伊良林小学校に教諭として赴任して来るのだった。