イエローダイヤ・マンy678 誰かに遠慮して自分の意見を言わなかったり、そういう場面も経て大人の世界に慣れていくのだとすれば、子供のままの純粋さや疑問符を鵜呑みにしないひたむきさを僕等はとうの昔、捨て去ってしまったのだろうか?自由闊達に論議しても埒は開かないのだとすれば、経済の深刻はよほどのこと。楽観論からまず抜け出すことが先決だ。国家破たんにはならないさ!!との安易な考えでいればそれは将来今の小学生くらいの年代が大人になって襲ってくる。何もかも後世をあてにすることはやめにしないといけない。後世につけを回すシステムは誰も責任取らないシステムで、将来負担が大きくなった時大変なことになる。そういう負の遺産を今大人がしゃかりきになって作る姿から僕は恐ろしい無責任の構図を読み取る。見えない振りか見ない振りを決め込んで久しくなった国民ではないか?国民にも責任がある。そこを辛辣だが思う。誰も言わないはずもなく、百年先の日本をきちんと計算で出す優れものの学者もいる。その時、この国がそうなった原因を調べて、この政権時のあの政治家だったんじゃないですか?となっても誰も責任の範疇にはいない。これはある意味非常時。志ある者達が立ち上がることが必須。老若男女を問わない。一体誰がそれを支払うんですか?政治家に今の今、問い質すことも必要だ。ギリシャの二の舞いは是非とも避けたい。すべてをガラス張りにすることが肝心なのだ。