イエローダイヤ・マンy639 非日常に行くバリアがあってそこへの通過点をすり抜けてしまえば案外ノスタルジックは控えていて、いつでもそれに応戦出来るだけの勇気や視座を誰しも持っているのかもしれない。僕も一人で深夜までSFに嵌まって止められなかった記憶がある。おどろおどろしいことやぞくぞくすることの頂点にいつもあったのはこのわからない恐怖であり仕組みだった。コンピュータの発達はそれをいちがいに相乗したとはいえず、実は歯止めになった部位もあると観念する。なぜなら検索機能などにまだ載ってない恐怖だって、システムだってあるはずで、そういった意味合いに於いてSF小説はいかつい奴だった。今は解らないこと自体がない。わかっていることばかり。興味があるものの解ってないことだって、いつか分屋が提示して見せてくれる。そんなに急いでどうこうする必要とも感じない。超高速で時代はスルーし、そこで、息咳切って何か伝えないといけないことなど実は存在しない。だとしたら僕達の世界は何によって均衡と満足が得られるのだろう。自分自身がそこをしっかり把握していない方が実はバイタリティなのかもしれず、そこを渡り合って行ける素地が果敢にも求められている。誰も僕を弁護などしてはくれない。それだけの覚悟は必要不可欠である。