サファイア・マンs218 一日に三枚から十枚の投函リズムでハガキ投稿していた当時に比べると今は毎週金曜日にアマゾン発表だけで、かなり首数句数とも激減はしていてそれを増やそうとか全く思いません。私に噴出した三十五歳から四十二歳までの短歌はその時にしか出来なかったもので、今は六十歳の齢を超えて出て来る短歌でそれを人が狂歌と判別しようと、いや短歌だ!!と結論出そうがどうでもいい。私が手掛けるものは自分自身が決めるもので他はとやかく言えません。何しろ、この三十五歳は私にとっての産後の格闘の時代だったと回想する。自分を戦地に出征させている積りで踏ん張っています。メリーズという名前の地雷を踏まぬように、子供達に怪我や病気をさせぬようにそれを念頭にして突き進むのです。そういう日常のざわめきの中にあって、みずからこれは短歌にしたいな!!は、あっちの方から手を振ってきて、子育てが私を作歌の世界にいざなうのです。誰にもそこを察知されてはなりません。戯れや群れることも容赦なく遮断しないといいものは生まれません。私は心を鬼にしていたのです。こんなに若い35歳でありながら自分が短歌の世界でまさかの干され方をするなど予想などしていません。いや、それが予感としてあったからこそ、自分の作風を早い時期に確立したのかもしれません。食うか食われるか?そこまでの危機意識はすでにあったのです。