ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔205〕天性のユーモアが父をドン底から救い上げる。どこか客観的に観ていたキャロルはあることに気が付きます。伯母やそして祖母タヤたちは父の雄姿を望んではいてもそれは到底無理なんだと諦めていた現状です。父はニッポン男子でありながらもはや手の付けられない事態に陥って嫁の思うまま、為すがままの扱いに甘んじているようで切なくともキャロルから見るとそれは凄いことだったのです。いわば自分を殺した状態なんですがそこまで来ると母ももうこれ以上苛めようとは思いません。この限界セミナーはキャロルに一案を浮かべる視座になるのです。とことん苛めを見ていたはずの周囲が認めたケースになってそこにユーモアが善戦していたことを学ぶのです。限界というものがあるんだな・・・母も戦意を失いそして穏便に接するという父に対してのスタイルが固まった。大体弱いものが世の中に出て行こうかとするときに何が最も基礎になるかを、父は教職員の世界から学んだ・・・と言えるのです。図書室に居場所を見つけそこに逃避行したような父が世の中でいう寵児に変身するには何が突破口になるのか?キャロルもそこは大事に捉えます。ユーモアが無かったら、譲る心が無かったら、父は発狂してしまうくらい母に軽視されていたからです。