サファイア・マンs217 自分に何が合っているかなど随分時間が経過しないと分からないならどうやって、その真骨頂を掴んで行くのか?相当な憂慮も含まれる?と思いきや自然体で自分をセッティングしておれば大体叶う闊達日常と言えるでしょう。私が専業主婦だったことで、時間は自由に使える。操作が出来るということで、そこに甘んじたけれど、確かに外で働ける環境には無かった当時と言えます。この子育て期、いかに時間を有効に使ったかで凡そ人生の総量も違ってくる。ただ子育てに邁進して来た人々も確かに偉いしそれをとやかく言う必要はない。その人なりの頑張りは見受けられて私に無いものを吸収することさえ可能なのです。昨日とおとつい連日でみなとメディカルセンターにお邪魔して、ひだまり図書室で私はバラの折り紙を頂くのです。次女が二回ここで出産したこともあって、折り紙が絶えずあちこちで活躍していることを知っていたことが厚遇でした。私にその黄色い薔薇の折り紙を下さるのです。女性のしとやかさと無限の愛を見たように思ったし、もしかしたら神は、十傑Wの中に、迷わずウーマンを入れてきたことと関わりがある?って類推したのです。神も迷うことがある?ってみんなもいぶかる場面でしょう。形容詞である時と、名詞になった時、神への存在意義も若干変容することは言っておきましょう。