イエローダイヤ・マン《標榜編》〔604〕これじゃあまるでトランスコスモスを間違って認識してしまう読者が増えはしまいか?って一昨日のエメラルド・ウーマンを読んで僕は不穏な気持ちにさえなってしまう。この不穏を僕はほぼ人生で使わない。僕の周囲にはそういった初歩的なミスをする人が少なかった証明なのか、両親も一回として誤ったことを僕に教えなかった記憶はある。エメラルド・ウーマンは、そこを完全にぼかしながら匂わせて於いて、深層まで辿りつかない文章組み立てで、コスモスとしかあえて銘打っていない。僕はあやふやだけど、これなら皆が自分で調べるのでは?とこの著者の作為が見えて来てうかうかしてはいられないぞ!!と発奮する。そこまで追い込まれてしまうのはピーパー・ウーマンの著者と同人物が執筆ということを極最近知ったことにもよる。二面性を生かす段取りで始まったこの企画執筆だったが、僕のように裏がない人間にとってはせん望にも値していて、言うなれば僕も仮面の男のように、ふたつの自分をこっそり取得出来ればどんなにダイナミックになれるだろうか?と思う。昨夜も懐かしい映画の放映があってプレデターに溺れる。グロイという言葉はこういう映画の為にあるのさ..って級友が放った記憶がある。グロイとグロウ、似て非なる言葉に強かな関連性が埋没する。