イエローダイヤ・マン《標榜編》〔91〕俺は恵方巻きをこれまで食ったことはなかった。それは母が用意してくれなかった訳ではなく、恵方巻きの方角吉運を信じないということもあってこれまで食べることはなかったが即時転換させる。本当に方角が吉に関与するのか?という疑う気持ちと高過ぎるのではないのか?との二つの否定で自分自身さすがにケチだなあって及ぶ。俺はこういうやりくりでいると一生彼女も出来ないし、自分の恵方巻きですらもったいない!!っていうセコい考え。何だか空々しくなる。突拍子もなくお子様ランチを食べたくなり、恵方巻きは真夜に残していつものランチを注文する。オマケが籠に盛られ運ばれてくる。新オマケに鉄琴が入って来て俺は感動してそれを持って帰る。ただで貰えるこういう備品を作る会社に何を学ぶ?膨大な構想を俺は学ぶ。彼らは利益を他の部門で養うのか?それとも食関連会社なのか?そこを考えることは有意義ではなく遊戯意だった。ユメを引き出しそれに相乗させないといけない俺たちの企業が逆のことにも目を懲らす。俺がそういう見地でいるのはレストランオーナーになりたいからではない。自分がドケチであることに開眼するからだ。帰ってその鉄琴を俺は洗面所に飾った。音も鳴る。誰もが自分に遊びごころという極意を持っているのだ。