サファイア・マン《緻密な男編》〔113〕彼を見ていて古いしきたりに埋もれてがんじがらめで銀行という体制で働くサラリーマンとの認識を、その枠を外して観てあげよう!って。なぜなら結婚はひとつの試作でもあるとの認識でいたからです。ぶっちゃけ以前の結婚で生活苦にすったもんだし、もう結婚など当分視野におくまい!とそう思っていたはずの自分はまた結婚をセレクトしていた・・・。それは結婚するたび何か発見もあるぞ!というような、不真面目なものではないものの、結婚自体が含む未曾有の意義があるのでは?との見識に立っていたのです。彼はどうも世間の見方や世の常識に則っているようだ・・・逆にそれに囚われていることは生来のキマジメさから来るもので、それによって彼のイキザマを小さくしているのなら、世界一の真面目者・・・。しかし理想だけで運ばないのが結婚の中身でした。彼の自分を見下ろす姿勢が癪に障って、打開策を求めるもうひとりの自分が健在だったのです。結婚個人主義の発動でした。彼がみずからそれを発動させ、自分を苦しめた・・・このことによって、自分は苦しみを表わすべく文学や音楽にみずからを没頭すべき時ではないのか?その最高環境が家庭ではないのか?水稲もち米栽培の素晴らしい成果をこころ待ちにしている自分と、その餅を膨らます準備は万端だと・・・。