言行不一致なことが常にキャロルには付随していて、それは俺にも言える。人々はそれぞれ信念を持って生きてはいるが、時折それは反故にされる。何かが優先されたときだろうし、ブチ切れたときなどがそれに当たる。あいつの扱いはとても難しい。自分を天才だと思っているからだ。それを否定すればやみくもに怒りを買うし、そういう事態にならないためにはこころの余裕が大切なのだ。人という人間カテゴリーの中にあいつも居るのだ。ことを荒立てることがないように俺も日常鑑みる。六十歳を迎える人に吐いてはならない言葉が確かにある。上下関係がたとえ逆であってもあるのだ。そこに無頓着では爽やかなるリーダーは務まらない。今はコンビニという道場を求めて、或いは小銭を稼ぎに、経営者ですら資金繰りのために、情報収集や、子供の教育費のために働くこともある。そういった時に、注意しなければならないのは、目上の人の定義である。ただ年をとっていてそれが目上の人にあたるのか?コンビニ経営者ならばどんなことでも言えるのか?厳密に抑えておかないといけない。若者の失礼よりも恥ずかしいのは大人の無神経感覚なのだ。デルスカイしておこう。メウエ対だ。どう足掻いても、相手は目上の人なんだぞ?って礼節な気持ちが若者の磐石人生にも寄与する。