いじめに負けない人生論、ここでは今までいろんなことを語ってきたけれど、どれだけのさい配力を教師が持たないといけない?って考えると教師たちがこころの病気になっちゃうから、そんなにカリカリきたり、臆病になって神経尖らせたり、いい意味でのクラス育てが蒙昧するからみんなの様子を逐一観察するといった動作を忘れないでいる、これを教師が念頭に置けばいいんじゃないか?ってキャロルは思うんだ。子供たちは先生の様子をよく観察しているし、娘の高校時代を思い浮かべると、先生の弁当のおかずまで日々観察しているのには驚愕した。つまり先生の家庭環境を子供なりに思い浮かべたり、想像したりと忙しいんだ。これは先生のこころの姿、つまり心象に子供たちが興味を抱いているっていう嬉しい暫定で、ここを生かせないなら教師としては死に体。自分を明確に表すことが教師の基本だといえる。