サファイア・マン《かけがえのない男編》〔11〕キャロルが始めての子供で、両親の寵愛を一身に受けたことを弟はうらやましがるし、そのピアノ教師、小山先生との出会いもいいなあって。母の親友でヴァイオリンもピアノも卓越した技量を持ってらして、キャロルの力を音感を導いてくれた先生ですが、キャロルは50歳過ぎてこの先生の自宅も探しましたがとうとう見つけることがかないませんでした。50歳を超えると様々な事柄がはっきり立ち上がってきます。なぜ、この道程に今いるのか?なぜ、あの時の迷子があったのか?恐らくキャロルの人生は以前言ったように、最初から最後どうなるかが先に決定していたのだと予想します。なぜなら、自分が夢でみたことを人々が後日になって話す場面は頻繁でしたし、夢でみていたことも言えるのです。たとえば、どういう俳句や短歌を将来作るのかを?それらを夢で添削しながら育んできた可能性は否めません。そして言葉にリズムがあるとしたら、キャロルは母の音楽教育によって、言葉と音楽の密接な関係を本能で知り得た可能性がありますよね。例えば、ごく単純なリズムですが、めええ、めええ、森の子ヤギ、森の子ヤギ・・・これを聞いただけで、アパートの密室の懐かしさを思い出すし、この子ヤギが、足をつまずいて倒れてしまうのでは?その歌詞がまだ、よく呑み込めないはずなのに曲想としてある起承転結を暗示として全文解読してしまう。その音楽教育の真価とは、弟が羨望の眼差しを持って見守るだけの方程式をすでに持っています。家庭に流れるBGM開発などいかがでしょうか。