土曜日は、こうして、同じ創作部門であっても展開が自由。期待熱い、厚い、篤い、そして暑い!思わない?漢字ってスゴスギ?ってね。キャロル漢字って得意ではない。ぶっちゃけばらしちゃうと筆順なんかひっちゃかめっちゃか。ええ??ってみんなが驚愕するかもしれん。それくらいいい加減なんだ。崩し字なんかそういうのを踏んでないと恥ずかしい、どんな結果が待っているかわかっているなら学習しろよ!ってなる場面だけど、筆順を覚えようという真摯な気持ちに付かなかった。勉強不足もいいとこなんだ。そういう基本中の基本キホキホがなってないから人間がウスッペライのかもしれない。でも・・・自分がこうやって記すことが出来てみんなが閲覧出来るっていうこと、民主主義国家の誇りだとニッポン人として胸を張るんだ。例えば、親の涙はわが涙かな・・・と締め括る短歌が、片親の生徒に配慮しなさい!って歌が破棄されればどうよ?片親の人々だって残念に思う。自分は孤児院のあの先生を思い浮かべたのに・・・ってね。過剰防衛が人権擁護側にあって、本当の人権を見失う要因を作ってしまった。今朝の語害論争請けて立つ嬢は、そもそも俳句や短歌には、その人の苦しみや境涯が綿密に描かれることもあってそれが日常詠の種火にもなるんだ。ミチが原爆を受けていることは、身内も街の人々も誰も隠さなかった。キャロルが落ちこぼれになったときも、街の人々の白い目という洗礼を浴びた。あるがままの措置や待遇を受けて今日あると思えば、今朝のキーワード真実の人権というものが何であるか?うっすら見えてくるんだわ~