小説の構成でも面白い、笑える構想がいいのか?それとも、社会の抜け落ち部分を彷彿とさせる社会手法がいいのか?みんなの意見を仰ぎたい心境にいますねえ~ただ、ひとつだけ、言えるのは、真実に基本を置いているっていう点。それなら、ノンフィクションか?って言われると、そこで不可解な迷いが生じるんですよね。ノンフィクションに限定されたくはない確固とした自分が旺盛なんですよね。これは絵描きと同じジレンマです。例えば山下清画伯の絵、ひまわりを描いていたとします。その絵を見て、意見や感動は百人いれば、百あるわけ。だから、作家の側に出来ることは、キッカケを与えること、示唆とも言うけど、その辺でのマジックなんですよ。ここで、映画の手法を取り入れたくなるのは、ホラー愛好者のキャロならではでしょう。イット〔IT〕なんかが、リアル浮かびますよ~そして、これ、アイティとも読める。この業界をキャロが趨勢決定する暗示が・・・。それと、極め付けは、あの映画、めぐりあう時間たち、これは、秀作でしたね~詩人を応援する女性の哀しみは壮絶でした。自殺しちゃうからです。なんで?芸術家は死にたがるのか?っていう想いはあります。キャロは一回も文学で、死を選びたいなどとは思わなかった。あの映画で、ジュリアン・ムーアさん演じる子連れの母親がこれもまた、酩酊するんですが、あのような蒙昧が子育て中に現れるっていうのも、重要視しなければならないし、家庭内ホラーでしょう。映画がニュアンスを出してくれるから、小説を始めるキャロも助かります。平凡な人生に潜む空洞や落とし穴、心理的サイコサスペンス、始まりをどこに設定するか?イットでは同窓生の集まりからでしたね。