今ねえ、綾鷹をついで来たんだ~おこぼれ主義にあやかれるかなあって。大事なんだよ、字勢、字体、字画、字相、字観、父がペンネームかっこ良くってねえ、和田観世〔かんせい〕っていってねえ、父が僧侶になる修業でお世話になった、NBC長崎放送の上に観善寺ってお寺があってね、そこから来ているんだ。父は、お金を500円しか、弟に持たされていなくってねえ、浜の町の繁華街にも行けない。行くだけで、バス代片道400円なんだ。それを見込んで弟が渡さないんだ。父は、本屋さんはもちろん、中通りを歩いて、豆屋をのぞいたりが大好きなんだ。なぜ父の名前を書いたかっていうとね、教育についてを、父がもしも許すなら、この和田観世のペンネームを使用して、書いていきたいなって。弟は父の蔵書を3万冊、廃棄してしまうような流浪人生なんだけど、この本を捨てたことを、彼がきっと猛省するようにっていう意図がキャロ側にはあるんだね。なぜ?弟に言わせれば本っていうのは、説教に近いから嫌らしいんだ。母を熱愛していた弟だったからね。この前、最後にうちの家に来た時も、プロレスの話してて、母がプロレス大好きで、馬場っていう選手にいっつも、発破かけるんだけど、ちょっと、動作が遅れたりしたらね、ブラウン管叩いたりしてたんだ。ガッツあり過ぎ~母の笑顔は最高だった!って弟が言うんだ。でわキャロ元帥による亡き母の笑顔の一首をお願いしま~す。〔母の〕思い通りに ジャイアント馬場が 十六文キックの 体勢になる時 笑顔満開なり