キャロの短歌に現実っていう題材100首は詠んでる、その中身、ここでは、紹介しようかな~現実を直視することが、主婦には、通常ある。多いと言える。例えば、五万円しか、食費がないときに、まず、何をやる?そう、30か31で割るよね、だいたいこれ位で収める。でないと、はみ出す。じゃあ、はみ出しちゃったら?次の日、カレーにして、一日、作らず、帳尻を合わせる。赤字を出さないようにっていう基本的な構え、守らなければいけない条項が、列記としてあるからだよね。現実っていうのは、それ程に、シビアなんだ。家庭だって、赤字を出して、のうのうとしてはいられない。本当は、母が、貯めた、へそクリだって、元はといえば、父が教職で得た、お金。本当は、母だけのものではなかった・・・。みんなの貯めているへそくりに、ごちゃごちゃ言う積もりはない。ただ、お金っていうものには、どういう小さなお金であっても、誰かの目的や希望が込められたものだって、言いたかったんだ。もしも、へそくりにしたくて、誰かが、キャロの本を拾って、銭を得ていても、それはもう許してやろう。捨てた人、拾った人いて、当たり前なんだから。そして、へそくりを、軍資金として、有効に使うのなら、それもいいじゃん。大きな、気持ちに変わってきたっていうのにはね、みんなの気持ちがキャロに、痛い程、通じているからなんだ。これからキャロが有能でこころ有る人物達に囲まれればいいじゃんってね。大事なのは、今の、一秒って思う。ワンセコンド。これって大事だよ。今一瞬を悔いなく生きていれば、過去に振り回されることはない。でわ、キャロ元帥による現実の為せる猛威を一首お願いしま~す。現実と名乗る 怪物の下敷きに なる時に ようやく気付く 生身の己に〔己には、おのれ~と刀を抜きたいが抜けない自分が掛っている〕