キャロの父が、自然法爾章〔じねんほうにしょう〕、南無阿弥陀仏に生かされて生きるっていう本を平成15年に京都の百華苑で出版させて頂いて、早くも十年が過ぎて、今、感慨深くてねえ。あれは、確か、ちょうど今頃、晩秋に出たように記憶しているんだ。父が、何人かの詩人の詩歌を紹介していて、その中で、やはり金子みすずさんが、好きなんだなあってわかるの。こころを洗われる、せせらぎのような、流れであるし、韻なんだ。こういう父の一面は若い頃から、全く変わっていなくて、その血をキャロも受け継いでいるのかなあって思うと、嬉しくなるんだ。父は、あの本で、何を、言いたかったのか?キャロには解せない一点もある。家族の話が一行も出てこない。しかし父は、突き詰めればこう言いたかったのではないかと。くめども尽きぬっていう表現箇所なんだよね。つまり、汲んでも、汲んでも、尽きない、何かについてを。それは、人それぞれみんな違うものなんですよと、言いたかったのではないか?と。キャロより、以前に、父が、世間からいじめを受けてきたっていうのはもう実証済みだろう。なぜ?子供達二人が、いわゆる、落ちこぼれだったから。教育者として、それは厳しい採点が付くし、やむをえない。その事が父の人生に影を落としたし、しっかり謝らなければいけない。お父さん、ごめんなさい!努力が足りなくてって。父は、にっこり笑って、なしてや?って問い返すでしょう。こんな、しおらしい娘を今まで、一度たりとも見たことがなかったから。なしてや?とは、なんでやねん?っていう時の、長崎言葉。理由なんかはないよ、ただ、謝りたかっただけさあ。父の笑顔はいつも最高!!長崎の夜景に匹敵する1000万ドルの笑顔なんだよねえ。