語りたい。それが、語り体質

 ノンフィクションの醍醐味が日々鮮明になり、あからさまになる。例えば、プラネットOFゴリラだが、全くの架空の話にしたいと、要望は己の中で最初からあったのに、ノンフィクションに様変わりしてしまった。予知が出来るからかも?はある。さじ加減は本当に難しい。あたしには、フィクション自体が難しいことが、今回はさらに明瞭になっている。こういう人間の真実の仕組みは大事だ。夢をいつも見てる人のイメージが、尽きないし、あたし自身は、語りたい人のイメージが定着していた。しかし、それは、若干違う気もしてる。語り体質にはしかし、自然になっている。みんなに報告することがナチュラルになっていて、崩すことは逆に今となってはムズカシイ。