今度の木曜は大漁だ!!

 のぼりを作るのはあたしの祖父、和田光男の仕事で当時から芸術的な絵を駆使し、のぼりを作っていた。どんなのぼりがあったか・・・まだ一回も見たことがない。いや、語弊がある。弟の初節句で見たのはやはり勇壮な鯉のぼりで祖母タヤは自慢だった。こののぼりを作る為に祖父は帰省した。やっとのことで男の子が生まれたのだ。関東大震災をその帰省で免れたとあたしは伯母に聞いていた。遅く嫁入りしたタヤはみんなよりもかなり遅く子供を産み、しかも早く死に別れた。昭和17年、1942年に心臓の発作で光男は亡くなる。61歳だった。やりたかったことはいっぱいあったろうにあの時代の日本を考えるとそれどころではなく胸が痛む。結果息子の出征も帰還も見てない。私は、鯉のぼりで光男の仕事は見ている。濃い色をふんだんに使い大きな鯉のぼりだった。みんなも自分の四人の祖父祖母を思うとき、クォーターだが、大切なものを4つ頂いていることを忘れてはいけない。突如それが出てきて自分の一生を変える場合もある。紋も専門だった。孫娘がどの一門に取り込まれるか今、祖父は見ている。でわ行きましょう。腐っても 鯛はのぼりに なりにけり(光男ならあたしを男として描くだろう)