Ss179

 僕が生まれた時の鯉のぼりは勇壮で、矢上では一番と言われた程の大きさ・・・。それはそうだろう。エビスさんを描かせれば他にいないとまで言われた画師。祖父である光男が手掛けた作品だったというから僕に今でもぞくぞくは沸いてくる。日本が持つ伝統をこよなく愛し、駆使して来たような母にとってはこの上もない祖父や祖母の存在をどういう訳か母は愛することには至らない。いや、これは僕の憶測に過ぎず、思い込みかもしれない。伝統に対して母はそんな中途半端な視線を送っていたはずもない。父と知り合った時にはすでに光男は亡くなって対面が叶わなかった分、祖母のタヤに対してもっと心を自分から開く努力をしても良かったのでは?とは世間の見方。僕は致し方なかったと弁護する。母は誰にも同化しなかった。戦後心を繋ぎ止めてくれたものは親友との切磋琢磨でそれ以外はほぼない。嫁に行った姉妹との交流もどこかぎこちなくて、佐世保の姉にもつっけんどんだった。姫路にいた妹とも型通りの文通で済ませた。母はすべての社交辞令が一言でいうと、めんどかった。この心の原野の荒れ放題を誰も分からなかったしそれもある程度僕に理解は出来る。解ってやるべきは夫・・・つまり僕は、父が出来なかったことを母と一緒にいることで果たしたのだと思う。姉はほぼ母のことにはタッチしてはいない。姉の替わりになって僕は矛盾の原野を切り開いていったことは自明である。