デニム・ブルーママン19の3

 

同じ宝石シリーズではあっても番号札がこのコーナーとオパール・ママンの場合は必須であることを容子はようやく悟ったようです。あの頃のことを書き出すことでどこが今と違う世界だったかを記述出来る。あの頃・・・まだ、世の中にコンビニが存在しないのです。替わりにあったのはスーパーマーケットや小店です。喫茶店のママから頼まれて容子は永昌東町のスーパーへ買い出しに行きます。ママがかなり真剣にこだわっていたのはウィンナーコーヒーだった・・・。生クリームをまず作っておきたい!!それを思うのか、容子はママの希望を叶えるために、その小さなスーパーマーケットへお使いに赴くのです。あの頃のことを思うと私は、自分が応援に回ったのはなぜなのか?迷いは当然あったけれど、音楽を真剣に捉えていた容子を応援出来る人間が皆無であったために、自分だけでも力になれる立場に回って生活者としての容子を支えたかった・・・意外です。世の親とは全く違う背景にあったのも、学歴主義ではなかった・・・そういう一面を見てみんなも驚く場面になるでしょう。正統なルート以外を模索していたことは鍵になります。毎日のように、楽器をこなして、バンドマンやバンドガールは楽曲を演奏し、ムード提供にいそしむわけですが、そこに自分たちの楽曲が披露できる場面が訪れて、それがアドリブだと知ったとき、どんなに歓喜した容子だったでしょう。すべての分野にも息付く場面ゆえに、プランも芽生えて来るでしょう。私は強気の容子に逆に支えられていたのかもしれないです。