アクアマリン・マン73

 愚鈍でのんびりした性質とスピード感ある気鋭の容子。どちらの性分も有して使い分けしている今の容子の現状を見ながら僕なら異次元での起用を試みる。もしも部下だったらば・・・の話だ。容子の親睦力は並外れていて、誰とでもソッコー仲良しになれる。かといってその人をずっと覚えている訳ではない。浅く広くってやつだ。だから仲良くなれた・・って勘違いして、その人が手創りのお菓子や煮たトマトを持ってきたとき、一回目は良かったが、段々と容子はうっとおしくなる、20年前の話だ。広く浅くの定義が壊れかけた一瞬だろう。煮たトマトはレジまで持ってきてくれて、恐縮した容子だったが、いつか、その女性には嫌われてしまう。人と接することの難しさを思うし、容子がスーパーマーケットダイエーでのレジの最中。その合間を縫って、話しかけて来たり、プレゼントを持参してきたりと喧しかった。嬉しいことだけど、昔から人気運を持っていたのでは?を僕は禁じ得ない。容子が行く店は繁盛する。クルマは一台もいなかったのに、パーキングはやがて満車になっていく。それを次女が論破したことがある。不思議なゴリちゃん現象になるという。容子のスピード感ある気鋭を活かすと同時に、愚鈍も絵になる。心の休息になる。食事で言えば箸休めだ。酢の物和え物が箸休めには重要だ。ピリッと感を今まさに、味わっている最中ではないのだろうか?辛いことのようで、それは読者にとっても箸休めになって気持ちいい。気分転換がイジメの現場にも必要だということだ。