デニム・ブルーママン18の8

 

きっと私は至らない気持ちをみずから責めて、雁字搦めになっていた・・・とは正直な処で、もっと余命があったかもしれない・・・は依然としてあたしを苦しめました。それからのあたしは、義母がいた仏間に床を移して下で生活をしていくように暮らしを徐々に替えていったのです。夫のことも考えないことはなかったけれど、あの頃の夫は掴みどころがなくて正直、関わることが怖かった。本の虫だけに収まらない彼自身の葛藤が見え隠れしていたからです。夫婦の概念も壊れかけていたと思います。子供が鎹(かすがい)だ・・・とはよく言われる言葉ですが、そこからまず夫は離脱していたのです。子供より、もっと、自分の理想を追いかけていたい!!っていう野心が私には見えていて、しかし、矯正は夫婦でも出来ない領域で、例えばそれは、あたしの取る生活様式を誰かに文句言われても、変えることなんか、到底不可能とまったく同じ理屈で、政治に深い興味を持ち始めていたのです。私は声を大にしてでもこの時、反論しないといけなかったけど、先延ばしにしたのです。面倒なことは大嫌いで関わることは避けたかった。少しずつですが、階下で生活をするうちにも、義母が相当に孤独だったこともわかって来て、後悔の念に襲われるのです。なぜ、親睦を築いていけなかったのか?もっとノーマルな義母との親子関係を構築出来なかったのか?それは後に容子が紐解いてくれることがあるのなら、そのときは任せたいと思ったのです。(24323)