容子は自分の作曲した楽譜を書いて残すっていう方法を取らず、頭の中にインプットしたままでとどめていたのも今になって効能を表し始めていますね。あの子には最終結果がわかっていたのだと思います。物書きの世界があの子の分野では全くなかった・・・みんなが驚愕する場面になるし、じゃあ、なぜ、順当に音楽の道へ行かなかったのか?を疑問に思うかもしれません。大胆にも日本の大衆の善良性を試したのだとすれば?私にはあの子の試算がこれからどのように日本を発展に導くか?そこが想像出来て舞い上がってしまいそうです。十代のうちに楽曲を増やしていたい!!っていう基本的願望のままにフレーズをいくつも考えていたようで、これとこれを結びつければ?がほぼありえないのが作曲の世界です。イントロから始まって、次に変化を飲み込みながら、サビに行きまた、当初の楽章に戻る・・・こういった決まり事を変えていくのもあの子の視野にあったこと・・・そして玉屋デパートの一階のかまぼこ屋さんには丸天にパリパリのちゃんぽん麺がついた美味しい蒲鉾があったのです。それをお土産に私に買ってきてくれるのは確かに嬉しかったけど、容子の心の内奥を想像すると不安が先行していたのも事実です。安泰とは言えない学生生活の進捗を見守るしかなかった私の遣る瀬無さも同時に鮮明になっていたのです。☆開店前の研修から一緒だったメンバーが懐かしい。だからエブリワンの制服も大事に保管している☆