デニム・ブルーママン18の14

 

そっと外野からあの子を観察しながらあえて何も言わずにいく・・・私の様相は他の親からすると当たらず触らずで不可解な位置であり姿勢でもあったんですが、それを変えてはならないをわかっていました。矯正や強制が、絶対にいけないことを踏まえていたのです。もっと前でもそうでした。小学校時代から自然のなすがままに育成されてきたと言ってもいいし、自然の中で育まれていくことで私の概念も成立を見るとの認識だったのです。人はそれを放任と言うかもしれないし、女子の教育の通念を逸脱しているものだと批判するかもしれないことは承知でした。みんなが同じ認識であたしを責めたとしても容子の生き方をあたしが何かいちゃもんつけることがなかった。信じる気持ちが根底になったからで、尊重していたのです。興味のあることに没頭したいタイプでした。とことん没頭できるものが見つかればあの子にとって御の字。しかし社会的な理想とはちょっと違うかも・・っていうのを私は認可したのです。自由にやっていい。しかし自分で責任を取りなさい・・・と。私が直感した通り、あの子は漂泊していました。どれが確実な道なのかを、あえて、知りたくない様相だったのです。今でも容子の姿勢は変わってはいないとすればそれは喜ばしいことです。66歳になってもっと違う容子になっているか?って予想しても無駄で姿勢は一貫している。誰とも、共有しないで自分の世界を維持することが必須なのだとすれば一匹狼の意義も解明されるでしょう。一匹ゴリラとしての前途はみんなと共にある。見える位置に容子が存在していることが何よりも存在感として頼もしいのです。★24365★