弟の嫁とどう付き合うか?それで、苦労したり、争いに巻き込まれた人たちも多いかと思います。古いしがらみにぐるぐる巻にされて生きる人々には特に多いと想像します。私の弟ということは嫁にとっては義理の姉の私。それなのに上から目線で全く日本女性の風上にも置けない風情だった容子の母親を、一回は直接懲らしめたい!!って私に野望も当初からあったことは女性の性(さが)でもあるし当然でしょう。7歳も私が年上なのに、なんでヘイコラしないといけないの?ばっかみたい・・・って何度も自分の中で押し問答も起こっているのに、本人を前にしたら、私は、空気が抜けた風船のようにしょぼんとなっていくこの現実・・・みんなもある程度は想像がつくかもしれません。ケムに巻かれるのです。その煙はやはり、帝国海軍の煙かもな・・って私は自分が海軍記念日に生まれていることもあって、滅多な考え方に走れば罰があたるのでは?を心のどこかで憂慮をしていた節も垣間見えるのです。また、今度でもいいのでは?やり合うのはやっぱり次にしよう!!って。逃げの姿勢を結局取るです。みずから常に争いを回避する方向に結局立っていた。そうやって容子の母を盛り立てはしないものの、軍人さんが偉い・・っていう帝国式の教育を受けた私達には、すっかり骨の髄まで染み込んでいた''何か"があったのです。帝国海軍の威光はまだ家庭の中で温存だった・・っていうのが実の処だったのです。毎日が戒厳令下で弟も畳の上で戦っていました。何か口答えをしようものなら数日はシカトです。取り立てて何も説明せず、出自を匂わせ、家の中であっても周辺に自身の立場を分からせ、応用した母親を見ながら、容子が子供なりに知恵を働かせてきたのか?ってそこを思うと、ほろ苦い。教育的にはいい効能かもしれません。いいものを見て、その通りにする方がはるかに難しい。しかし容子は、逆だった。敗戦によって劣化した母親の性向を見ながら、自分なりに構想を高めていったことが今偲ばれるのです。