みんなも恐らくそうでしょう。得意分野の科目とそうではない苦手な科目。容子はすぐに取り戻せる!!って過信したのはそれこそ、得意な分野、国語や英語でしょう。しかし理科や歴史、どんどん遅れを獲っていく、それこそ一番問題だったのは数学です。中2からほぼ何も数学を見てない。苦手だからこそ遅れ方が尋常ではないスピードだったのです。しかし暗記ものを随時取り戻しつつあったから心配ないと高をくくっていた、親も同位です。教科書ガイドを毎年購入しあの子には全教科、持たせていた夫も安堵の仕方が間違っていた。当時は教科書に沿ってすべてを記載、フォローしていた夫こそ、このガイドの信者だったし、あたしたちが教師だったときもそういうガイド本は役立てていたのです。教える側、そして習う側、どこにポイントや力点を置くべきか?なかなか煩雑な時間に追われて拾えないのが現実。容子は学業を甘く見ていた。その教科書ガイドすら目を通してはいなかった可能性大ですね。バレーボールに明け暮れてセッターとしてポジションが固まると、時折来る顧問の先生も、OKを出して見守ってくれる。教師の許諾はその頃も大きかった。自分の後ろに総勢6人をおいて背筋もピンと来ていたでしょう。いかにすればフェイントで稼げるか、ネットにタッチせずボールを相手チームへ落とすか?相手が思っているボールの方向とは逆をつけるのはどの場面?そこに全神経を配っていったのです。