イエローダイヤ・マン1502

 足フェチの監督による19分のフランス映画を今朝から見て、僕の心は舞い上がる。ずっと女性家庭教師と少年の会話の連チャンなのが気持ちいい。ふたりでずっと話している、つまりこそこそ話していることを僕らがどう解釈するかが面白い試みだ。うがった映画ばかりになって、こういう作品の小品に映画の本家本元が詰まっていることが分かる。文学だって同位だろう。自分の中で自然で嘘のないものを追求していく人々のジャンル。この作品は勉強は嫌いだけど、とっても茶目っ気のある少年の語り口がみずみずしくて、聞く者を原点に戻してくれる。靴を脱いで、ちょっとリラックスするってのは事務系の皆が経験する日常茶飯事。そこに目をやる仔細な眼球には参った・・・というしかない。最後のシーンを皆が見て驚く。ここがないなら単なる、勉強が嫌いな少年のおふざけに過ぎないのだが、どうだろう。あの少年ほどのおちゃめな活力が僕ら日本人にあるだろうか?はなはだ、疑問符がある。しかし活力がないな・・って自覚が出来ている点で☆買い☆だと僕は思う。まず、世界の均衡に寄り添えているか?その次は独自アピールだ!!均衡を重んじる事ができれば、金鉱もおのずとシェアアップ。いい位置にツケている。難を言えばきりがないが希望を言い出せば果てしない。ここで方向転換出来れば問題は生じない。ケサカンは答辞だ。