平穏無事に生きる尋常路線をまっとうすることさえ、人生では過酷なのに、66歳になって初で母は自分の背中を子供に見せる方法を最後に獲らざるを得なかったこと・・・僕には理解が出来る。親子だからだ。うがった見方を文筆者はする。自分はあなたよりも上!あなたよりも執筆している?って。しかしそういう態度は家族の中でしか見せなかった母だ。むしろ決定的に母の灰汁を体験したのは僕たち子供等だったろう。例えば僕の友達に対してもニックネームで呼んだりする。取りたて親しい友人なら名字だけで呼び捨てだ。僕は〇〇くんって呼んでよ!?ってこっそり注文つける。フレンドリーなお母さんだね。そう言われても僕は心のどこかで疑心暗鬼があった。親の風貌としては権威がなさ過ぎではないか?他の家のお母さんは鬼瓦のように厳しい横顔をときに見せてくれたからだ。友達感覚であなたたちを育てて悔いはない・・・って言ってた母もとうとう路線変更を余儀なくしたのか?って僕の溜飲はくだる。人生は凡人にとっても過酷だが、天才にとってはその百倍は過酷なのだ。それを比較検証して僕は心の平安を取り戻していた。天才なら本来は苦しまずに済んだことを経験していかなければならない母は今後、何をゲットしてしまうのだろう。この現物がスゴいに違いない。
