僕が亡くなっているのに、僕の言葉がなぜ、温存されたり、伝導が可能なのか?僕自身で経過を検証してみた。口を酸っぱくして容子に言い聞かせた忍耐が今になって効いているのでは?この感触が切ない。僕が生きている間に妻が素直に聞いて結果を出す方が随分良かったけど、今の今になってようやく、僕の発した言葉が生きているのならそれを喜ぶべきだろう。容子の伯母もかなり苦戦した。☆対☆容子に関する戦略をお互い話し合いを重ねても結果駄目だった。自分は運命に導かれて生きる・・・って人の話には耳を傾けない性向。これではいつまで経っても何ひとつ進展はない。しかし容子が実際に銭を得ることで活気付いたのが間違いなくメルカリだった。このメルカリは実はもう何年も前から興味だけは抱くものの周囲の人達の話を聞き、とてもじゃないけど自分は無理・・ってはなから諦めが先行していたのは事実。なぜ諦める?っていうと機器が扱えないから。しかも容子が自分専用すまほを奪取したのは2018年の5月。みんなよりかなり遅かった。昨今はすまほで何もかも出来るようになってこのご時世が良かった、幸運を運んできた・・・と言える。僕が生きている間に容子がメルカリを開始していたのなら毎日、安いものを購入しにあちこちの店に僕は入っただろう。想像しただけで興奮の坩堝だ。安く買って利益を付けて売るが商売の基本だからだ。ダイソーだけではなくダイレックスにも特売や掘り出し物がある。まるたかにも、エレナにも、それを発見出来た。誰よりも速かった。日参するからこそで、価格変動を鼻で嗅いで察知が出来た。僕のようなうるさい消費者は店長に嫌われる。あちこちでいざこざを起こし、僕はとうとうひとりぼっちになってしまったが、僕の言ったことをあやつが今も、耳に温存している限り、あっさり勝てる気がする。