電気ガス水道といった光熱費、それがもっとも優先でそれに匹敵するのが家賃や食費、税金だろう。保険も大事な生活の要衝でそれが切れないよう、必死で攻防する姿は生活陣としての容子の生の姿。家賃は確かにない容子だが、納税者として二箇所の税金が請求されている。この生活苦を決して舐めてはいない点では評価出来る。仕事をしてその給与をあてにされて、一体この先、どういう生活費の割り振りを行えばいいか?頭を悩ましていることだろう。しかし一番いいのは仕事があることだ。僕が亡くなってすぐにも働いていれば、ここまでの窮地に追い込まれることにはならなかった。しかし働くことが一言でいうと億劫だったのだろう。今そこがまったく違う点で評価も上がる。生活費を稼ぐことが66歳の身になっていれば苦になる人も多い。しかし絶対に外で働いてはいけないと、家族に通告された時期が終わり、世間の人々と話が出来ることが今は可能になって、容子の人生は、語らいの春を迎えている。仕事をしても生活が改善されなければ意味がないと僕はいちがいに思わない。しかし稼いだお金を有効に使うことが出来ないと、この先は難しい。いくら稼いでいくらを生活費と返済に回す?明瞭に財布を分けたい。このままではどんどんお金はなくなっていくばかりだ。働いたお金を自分で使うことが出来ないとなればことは深刻だ。容易に改善は出来ないと僕は思う。今はすまほも止まって、大事な写真を添付が出来ず、寂しいが、それよりも大事なことは生活をいかに立て直す?家族で真剣にそこを話し合い、煮詰めていくことが最優先だろう。どうしても外せない支払いを優先しながら、効果を上げていくことが、春になってでは遅い、今・・・改善策を講じないと間に合わないと僕は思っている。(24306)