ブラックオニキス・マン142

 何もかも家で作る・・・僕の彼女がそういうタイプで僕の母は手作りのものはひとつもなかった。いや語弊はある。ほぼなかったと訂正しとこう。僕は友達の家に遊びに行くと、このお母さんはどっちのタイプ?っていつも観察をして見てしまう子供だった。でも自分の母親のことも少しずつわかってくる。執筆を母は優先実行していたのだ。時間が限られていることを僕はやがて知る。母には食事を全部手作りで行う時間がなかったのだろう。そういう理解の仕方でも構わない?ってとうとう母には直では訊けなかった。執筆しているときの母は怖くて、鬼瓦の面相で、話しかけるとどうなるか?今アタマに浮かんでいたことが全部いっぺんで消えてしまったじゃない?どう責任を取ってくれるの?って息巻く。物を書く人々は一瞬で勝負している。お椀の舟と箸の櫂とはよく言ったものだ・・・その箸の櫂がゆくゆくはこの日本を導き始める・・・などは五人の子供達は誰一人として思ってはいない。しかし僕のすぐ上の兄貴と、一番上の兄貴は万が一・・・ってことをアタマに描いている。確信はある。なぜなら母は自分の力を全部を出し切って執筆してないからだ。未曾有の潜在力を保持して今日ある。全部を出して完全燃焼してしまうことの怖さをスポーツで学んだと言える。しかし五人の子供達の中で僕の家ほど素敵な家はない。たこ焼きも家で焼いてアッツアツを二人で食べている。