ブラックオニキス・マン140

 僕の一週間はいつもの一週間でそこまで差異はない。しかしそういう平穏にしっかり棲み馴れてアパートの壁の匂いも僕に染み付いてしまった。ふたりを待ち受ける人生は恐らく平穏無事なものだろう。僕にとっての彼女は規制でもある。それが嫌だと思わない。しっかり規制を受けて今日があること・・・そういうのを母は嫌っていた。平穏無事の反体制にあるのが芸術家だろうか?しかししっかり日常と密接をしている芸術家だっている。それを慮れば芸術家と呼ばれる人々にも2つが存在あるかも?って僕なりに思う。母は常に、う行に目を配れ!!ってそう子供達に解いていた。迂闊であってはならない。穿って物事を捉えてはいけない、そして目からウロコなら再度相手に尋ねてみるがよしって。そして内向き思考にはなるな、そして、うだつは上がらなくてもよい。ただし、人生を迂闊に生きてはならないがモットーの母らしくて、根が純朴であることは疑いがない。しかし僕は凡人の一生について鑑みる。僕が構築しているもの自体に共通項が存在するということで分かりやすい。凡人ではない・・・を前提としている母とは違うゆえに、決して母には凡人の方程式を作ることは出来ないのでは?を思うのだ。凡人として堅実に生きていればおのずと凡人の方程式が出来る。そこに帰着する。僕になら?出来る可能性はある。母はいつも上から目線で物事を捉えていた。自信がそうさせたのだろう。しかしそれはそれで、良かったかも?は僕ら子供達にはある。最初から皆が認めてちやほやしていたら、母にこれだけの土壇場力は備わってはいなかっただろう。最後まで執筆では収入を得られなかったことが、母を強豪につけていることは言わずもがなだろう。