エメラルド・ウーマン47

 容子がもしも素直で人の言うことに真面目に対処出来る子供なら、今頃は通帳にお金がいっぱいあったことでしょう。しかしあの子には、静かに人の話に耳を傾ける・・・っていう動作は欠如で私は機会あらばと、とことん挑みました。繰り返しあの子に言い聞かせたのです。しかし一向に効果はない。一体この子にはどういう対処で行く?って。ライバル設定をしてあの男子をじっと見て参考にしてね!!ってこちらが先回りをしても結局は元の木阿弥。事態は動かない。きっと自由の申し子として生まれた禍根かも・・・って私は思いあぐねてきた部位が現存して今もあることが本音のくやしさです。しかしメルカリをやり始めてあることに気がつくのです。ひとつひとつの商品は人によって値札が違うことです。この品物は彼にとっては重要だけど、彼女にとっては、くずでしかない。この変動はスゴい。私ももしも今の世の中に生きていたらメルカリに挑戦してみたでしょう。私の母も挑んだと思うのです。この商売はものを捨てられなかった症候群に罹っている人々を完治させる療法が含まれています。なぜなら余っているものを見せるだけでも、売り手は溜飲をおろせる・・・しかも買う方も勉強になるのです。だからオマケしてもらうことを、もうちょっと勉強してくれん??って表現するのかもしれない。私なら何を出品するでしょう。アタマの中ですでに立ち上がって来ます。やっぱり衝動で買ったものを出品かな?それとも長い間、愛着を持って自分で保管してきたもの?そのとき、私にシグナルが点灯します。やっぱり私・・・たとえ、メルカリであっても、売ることなんか出来ない。不可能な自分が見え隠れしてきたのです。時代の潮流に乗ることが私には出来かねる。容子はそういう意味で金銭に切羽詰まっていたから乗って行けたのでしょう。