アクアマリン・マン46

 亡くなってからも僕の存在が家族に影響を及ぼすなど、考えてみると、生きると死ぬを僕らは間違って、定義して今日あるのでは?って僕でさえそこを今・・・痛感する。亡くなってしまえば何も、ものを言えなくなる・・・との決めつけだ。亡くなってもどんどん気持ちが言える僕もあることだ。これを機会にどんどん思いを、のさばらせていくことが肝心なのだと推察する。まず、生きている人々でもすでに死んでいる人があることだ。えええ?ってみんなが思うだろう。生きているのに死んでいるというのはプーチンが筆頭だ。殺人をしているのに、無神経に振る舞える人物。彼こそが死神だろう。まずあのショイグとの話を報道したことが間違いの発端だった。なんと、こう言ったのだ。作戦は成功し、おめでとう!!って側近をねぎらう。この場面を見て多くの人々はがっくり来たことだろう。かつての、まともな、プーチンなら、作戦は失敗した・・・みんなの前でもあることだ・・・ここで土下座をして許してもらえるか?そこを真摯に世界中に問いかけよう・・・となる。しかし、なぜ、おめでとう!!なのだろう。世界に向かって己のバカさ加減を発表してしまった彼こそ、地に堕ちた軍人だといえよう。怖いものなど何もない顔をしてそこでもお馬鹿をさらけ出している。人を殺して毎日のほほんとしている人間など、この世には存在しない。ウクライナのゼレンスキーが軍人よりも高い士気を持っていたことが僕の眼を熱くする。涙目にする。彼の祖先はもしや・・・軍人ではないのか?そこまで勘ぐってしまいたいくらい彼は士気の中央に、前線の先頭に今ある。