ひとりの人間がいかに困難とぶつかってやがてひとつひとつを克服しながら大人になって、成功への道のりを行くとすればどんな条件が整えば?ってみんなも想像する処です。その道程には順路を行くという道ともうひとつ存在するかも?が元教師の直感としてあったのは言える。自分を触媒にして周囲に変化を与えながら歩く道のりです。そういう物理的な人間がおればサンプルになって実に面白い。しかしもっとも成功確率が高いのはやはり勉学で知識を積み、集団で頭角を表して世の中で特定位置を奪取する・・・このやり方が順当でしょう。容子が、音楽を生み出していたことで私の頭の隅には、ここへの着地ももちろん控えていたことは想像の範疇です。しかしそういう世界を、ふわふわしたことと位置付けるを夫。本は好きなはずですが、タレント性は好みません。私にはない堅実志向が夫には健在で音楽や文学で飯を食っていくなど、雲を掴むような話・・という処で収めていたのです。そういう真面目な、ひとつ間違えば、石頭的な家庭的環境が、余計にあの子を外へ外へ!!の志向に駆り立てていったことは+(プラス)だったと思えるのです。2年生になって成績は、300人中50番まで下げても私はそこでのテコ入れなど考えません。自分がダンスをやっていた影響でしょう。数学が出来ないと生きていけない訳じゃない。みんな催眠術に掛かっているという認識です。勤勉がいつかは死語になる・・・そういう応酬が私の脳裏をかすめていたのがリアルです。みんな稼ぎ方が違う。どのスタイルでいこうと自由。日本にもそういうサクセスビジュアルが生まれつつあった。あろうことか容子が担任の先生をシカトしているなど、全く知るよしはなかった。本人が言わないから全く分からないのです。