心のどこかで救済を求めていたことは明らか・・・でも惑わされたくない強固な自己もあった。容子は犯した罪の重大さで逆にかなり慎重に人生を捉えるようになっていたことで、この先に何があるか?分からないものの神さまが与えて下さった命に身を任せていたい女性としての本来の心に従った結果かも・・・って。ありきたりな平凡な日常がどれほど貴重なのかを、この事件で母と娘が悟ったことは大きくて、それなら夫をもっと大事にしていくはずが、ちょっと方向性を異にしてしまったことは言えるでしょう。私には断固として、核家族志向があったという自由基調です。郷に入れば郷に従え・・も存じ得ながらのこの反発は思い返せば30代の反発だったかも?って。私にとって男児を産み育てるということで、義母とのすべてをクリア出来る!!と踏んだゆえの猛攻だった。妊娠八か月から生まれるその日まで、私にはご加護が付く・・・とそう確約が取れていたのかもしれません。今思えば若気の至りだった。すべての事柄が上手く収まって行く・・・なぜなら、義母は男の子崇拝者だった。私たち家族は三人で戻って来た三輪トラック乗り込む。前の座席に容子と並んで座ります。夫はトラックの荷台です。昔はそういう具合に荷台に同乗が出来たのです。なぜか、幸せな気分まで到達しているからまか不思議だったのです。