デニム・ブルーママン17の9


 諏訪神社の横の通りよりむしろ容子はよく歩いたのは片渕へ至る道。校舎はまだ、女学校の風情で高校は建て替えを準備し新しい校舎に移る歴史の転換期に来ていました。土足で校舎内にいることで各人の靴の音が響いていました。古い校舎は容子を受け容れてくれはしたもののそこで、学習能力が間に合わず、はぐれてしまっていくのは自然の力学だったのでしょう。私はとやかく言うのは全くせず、傍観席に座っていました。母親なのによく、そんな、呑気にしていられるな。皆ももしかしたら教育面での不備を言うかもしれません。私は敗戦を経験したからかもしれません。気の遠くなるような大きな危機を通り過ぎた経験があるから、これくらいのことではめげなかったのです。よしんば、あの娘が他に転校しても、それでいいと思っていました。能力がないから、それは致し方のないことです。数学、生物、そして化学の点数が届かなかったのなら、それもしかり。処分や決定を飲み込むことが大事です。兄はその女学校で教べんを取っていましたから当時の女学校も、レベルが高かったことは充分理解していました。理数系の兄は数学と英語は得意科目だったのです。しかしながら、私達の思い描く学問とあの娘が対峙し打開してくべき学問、この両者には若干の違いがあります。例えば国語でも現国でも、過去を学ぶけど、あの娘は今を執筆する為の原動力を培っていくのが本分です。この若干の違いに気がついているのなら断然いいって私は思っていました。ただその頃はまだ、文章にそこまで目覚めてはいません。元々音楽を主体に未来を考えていたのです。(一週間くらい写真が添付出来ません。ごめんなあ。ソフトバンクのすまほが止まった。銀行引き去り不能からまだ、一ヶ月経過してない。ごうわくやわ!!3日すれば年金日やで。たった3日を待てんのか?メルカリ出来んのはもっとも痛い。時間はあるから添付写真をタブレットで挑戦してみっか!?ってか一回はてなで公開したものばかりしか出てこんわ)