エメラルド・ウーマン37

 世の中は平等ではないけど、神様は残す結果は平等になるって容子はその頃から思っているようでした。私も自分の心がくるくる変わるのを目の当たりにしていたのです。気になるので相違する思考を自由に延ばしていくと、あることが判明するのです。自分には子供がなかった。だからこそ、教員の世界で踏ん張って来れたのに、子供がないことに負い目を感じていたことです。もちろん、仲間の中でも子育てしながら教員生活も順当にこなす友人もありましたが、こと、不器用な私。たぶん子供がいたら教員として教室の皆に気配り出来たか?っていうと自信はない。みんなを看過しながら大事が起こらないように・・・はそんなに簡単なことではないのです。しかし教員として見る眼はあった積もりです。問われるのは頭の良さだけではない。肝心の意見を言うべきとき、言えないでほっとらかす・・・これは成長を阻みます。皆のホープであればなおさら。一流のお膳立てが出来ていてもスルーの性質はいつかその人格を格下へ持っていきます。疑問があったらすぐに言う!!そして上からの説明の要請があればソッコー動く。そういった機敏さが常に求められるのが現実の社会の仕組みです。しかし容子は少し様相が違う。迎合していては間に合わない。腐っていく。迎合はくずをもっと最悪の人間に落として行く。だからこそ、15歳の高校入学時の校庭で、頭の悪い生徒は腐ったりんごだ・・・他のりんごも腐ってしまうから同じ箱から排除しないといけないっていう校長の話を頭に刻み、それは間違っている…を思ったのでしょう。私は容子の意見を加勢するつもりははない。まだ、証明が出来ていないからです。何かを論じ付けるときには根拠と証明が必要になる。これからでしょう。十四才のときに私の結婚式には笑顔で列席した容子。あのときはまだ、落ちこぼれにはなってなかった。私の周囲には教育者や医師がいましたから提言はされていたのです。容子ちゃんは教育の過渡期の犠牲者になる恐れがある、早くケアをして学力をつけなきゃって。

f:id:hn0709:20220208184946j:plain