子供にとって母親は最初の教師。私は死産になってしまい母親にはなれなかった。すぐに縁切り状を私の母はしたためて相手の家に送る…昔はそういう時代だったのです。まだ、次があるかもしれないのに、行動が早すぎはしない?と事実をあとから知ったときは驚いた私。双方に意図があったのでは?の疑いが拭えず、母に直接抗議しました。しかし、暫く経過して分かったことは、母が私の身体の回復を第一に考えてくれたんだ…という親の愛の深さです。一回でも、疑心暗鬼に陥った自分の浅はかな心を悔いたのです。もてるタイプの体育教師だった。誰もが憧れるくらい…。私はやがて、短い期間でも、あんなにカッコいい男性に添えたことは奇跡だったと思えるようになる。私は我が子を生涯持てなかったからこそ、姪っ子である容子がとても気になったことは言えるのです。