私の育った家族構成と夫のそれは全く同じ。女3人に男ひとり。男の子は別格でかなり大切に育てられる。むろん厳しさもそれなりにあるけど、夫の場合は厳しさではなくう別の愛でどうも育てられた感じはあったのです。戦争で死んでしまった・・と思っていたのに突如、眼の前の現れた。このときタヤは嬉しい気持ちと同時に別の気持ちにも気が付いたと想像します。神様から貰った命なのでは?っていうタヤの信心の絡む奇特な思いです。あれだけ阿弥陀如来に参って来てようやく達成がなされた・・・そう取っても不思議ではなく自然です。息子が理想の家庭を築くためならどんなことでも自分が加勢する。そういうやる気で義母は来ていたと思う。一回目は結婚は成立したものの長く続かなかった。子供が亡くなってみずからお嫁さんにお暇を出したからです。今度はそれはないものの、中々したたかなお嫁さん。自分を立ててはくれないし、スルーも毎回です。しかし一回目の悲劇がすべてをオブラートにしていたのでは?と回想するのです。どんなことがあっても、あの死を上回る悲しみは訪れない・・・タヤが女子であってもその子を大事に育てていたことは誰も教えてくれなくとも伝わっていました。母性本能の塊のようなタヤです。そして嫁の言うことにはすべて、引き下がらざるをえない今後・・・。高飛車になっていた自分自身がほろ苦いです。