デニム・ブルー・サファイアママン7の2

 敗戦後、また、元の木阿弥に戻った人々も多い中、夫はそこだけは立派だった。これこそが唯一の長所だと心の中で期待する自分がいたこと、そしてそれを口には出しません。夫はお調子者だったからです。褒めると舞い上がる。多くの男性や女性たちは同じ考えのもと行動は出来ないものの、うすうす各人が分かっていた節もある。日本人は、ことなかれ主義を前面に出して動き始めた事実です。教職を13年で退いた私にはそれなりの収穫も臭覚もあったのです。終戦後、それは全員の収監された戦争犯罪に問われた人々が元の生活に戻ってきた直後くらいから端を発します。戦争をいかに捉えるか?で民族の感覚も意識もスタンスも全く違って来るゆえ、夫も生活の基盤をそこに据えたという力点。しかし実際の生活で思想は問われない。みんなと馴染めているか?成績や業績は出せているか?出自は?真面目であるか?向上は見られるか?蓄えは増えているか?人気はあるか?つてあるのか?この時点ではそれらに終始していたのです。私は家庭にある人々のことがもっとも大事と視野を狭めますが、ここが容子と視点が重なっていた点で有意義だったのです。容子は失点が人生の第一歩で来たゆえに、ことさら慎重に、駒を進めていた。この国に思想は本当にあるのか?世界と肩を並べて行けるだけの人的素材はあるのか?など、かなり深く拘っていた。ただ、単に、家庭は家庭でそれぞれ勝手にやりなさい・・・ではない見極めあったのです。