デニム・ブルー・サファイアママン6の5

 長崎の北部の産院を選んだ理由は二つあって、ピアノを教える親友の家に近いこと、電車ですぐだったこと、そしてもうひとつは医療です。もしも田舎で出産して万が一のことがあったら?住吉地区なら大学病院が近い。緊急搬送もないとは言えず慎重に選んだのです。私達はまだその頃、何が大事で何がそこまで大事ではないとか正直わかってなかった。絵を捨ててしまうなんて・・・って今更ながら悔います。なぜ、そういう軽率な行動に出たのでしょう。誰かに預けるとか出来たかも・・・って。今なら貸し倉庫がいたるところあっていいですね。私は、考えていたのです。これだけは欠落なくやっておくべく・・・が筆頭にあったのです。専業主婦になって容子にはこれまで出来なかった自由を与えて人生をもろに味わってもらおう!!って。そのとき、多少は失敗はあっても心に大きな器を準備しておこうって。何にもかけがいのないものが経験を積むという所作。真面目なことに没頭するのもいいけど、まず、人と関わりを持てることが先決だと覚悟を決める。しかし・・・難関として立ちはだかったのが義母とその家族たち・・・なぜ、コミュニケーションを大事なものと分かっていながら交流を恐れたのか・・・?ここに母性の弱点も控えていると睨むのです。