デニム・ブルーママン14の14

 私達の年代、1929年生まれは気持ちが昭和にいつでも回帰出来ますが、今の平成、そして令和はどうでしょう。2000年代以降と考えを切り替えてもわかるのは世界の変容です。秩序を保っていた古い枠組みは用を足せなくなって、ちょうどポツダム宣言受諾後の日本の戦後を思い浮かべてしまいます。なぜなら、私のプライドは木っ端微塵になった分、真新しい自分が顔を出していたからです。姉や妹のように私は家庭に貢献しようとの精神ではなかった。誰にも迎合しなくてもいい専業主婦の地位を毎日確かめているようでした。周囲は、せっかく教員免許あるのにもったいない。落ち着いたとこで、働きに出れば?って言ってくることもあったのです。私は一回は自分の身についてしまった怠けを人様に話すほど馬鹿ではなかった。正直過ぎることを恐れていたのです。しかし・・・このまま行くと容子はますます正直過ぎて笑いも混じる。しかしその頃、担任の先生をシカトしていることは全く父親にすら話さずに過ぎていくのです。正しく時間を稼いでいるようで滑稽でもあったのです。一番仲の良い部活も一緒のエイミーも、クラス自体は違っていたのでシカトの様子は知りません。彼女にやんわり訊くのも考えたけど、容子は人の心が見える。だから余計な画策をせずにおいた。中学三年生になれば自然にこの担任はお役目御免でいなくなる。そこまで冷酷に容子が捉えた節はありませんが、今で言う、うざい・・っていう感覚はあったでしょう。発表の大事さを解いたというのです。いくら優秀でもそれがないなら出世はないという教えでしょう。みんなとコミュニケーションが取れないという憂慮だったのです。

f:id:hn0709:20220404230614j:plain