ライバルと常に良好関係にあれば伸びるのですが閉鎖的な私は鉄のカーテンで家の中を隠していたのです。なぜ、そこまで秘密主義だったのか?今も不可解ではあるんですが、この外と遮断された世界を持つ人間生活を経験したことが後にどのような作用を容子に及ぼしていいくかをじっくり見ていくことも可能です。幼稚園に行ってみんなとしゃべったり、和気あいあいと交流を結んでいく幼さこそが正当ですが、容子の場合、少しだけ人とは違う角度を維持していたと回想するのです。自分は人とは違うから・・っていう特別な感触です。しかし学園生活でそこが出ることはむしろいけないのです。集団生活では特にそうで、シスターの先生に深く感化されて、反省をしているのか?って思うと、全く別のことを考えているのです。あの服装がとても敬虔で自分も着てみたいけど・・・って。そういうことが叶うわけがないのに望む。人とは遮断された何か・・・そこがあの服装には込められている。じゃあシスターはどういう経験を積んで教育を受けた人がなれるの??って。興味がしんしんになったのでしょう。静かに反省へ導く。そういう冷静な方々の存在を容子がちゃんと見ていたにも関わらず、事件は起こってしまう。教育者としてどん底に追い込まれて私は初めて夫の存在がありがたい・・・とそう感じるのです。